あなたの寄付で「モッタイナイ」を「マナビタイ」に。アジアの子どもたちの教育改善を行います。
地球市民を育成するため、アジアの教育支援や村落開発などの国際協力や国際交流など、国内外で地域づくりに取り組む団体です。
「世界中すべてのものの幸せを自分の幸せと感じられる人=地球市民」を広げる地球市民運動を通じて、世界の平和と親善に貢献し、あわせて地域社会の向上発展に寄与することを目的として活動するNGOです。
◆地球市民の会の原点は…
「日本人はバナナか!」
1983年に佐賀県で設立された地球市民の会。当時の関係者に、タイのソーシャルワーカー、ジャナロン・メキンタランクラさん(故人)が冒頭の言葉を投げかけました。その言葉の真意は「日本人は、欧米ばかりを見ていて、アジアを見ていないんじゃないか」ということ。見かけは黄色人種でも、中身は欧米の白い実のようだ、という意味でした。
そこで、1986年に初めてタイを訪問。初訪問のタイで出合ったのは、生活の貧しさや教育の惨状の一方、子どもたちの屈託のない笑顔や心の豊かさでした。
以来、地球市民の会は「幸せの種の宅配便」として、地域ごとの課題解決に取り組んでいます。困っていたり、つらかったり、悲しかったりする人たちに幸せの種を届け、世界中からたくさんの「ありがとう」を預かって、あなたの心に届けます。ほかの人の幸せを願うと心が温かくなります。世界中が、そんな温かい心を持った人ばかりだったら、戦争も、人種差別もいじめも、きっとなくなる。そんな社会を目指しています。
◆地域ごとに抱える課題
【タイ】
1987年の事業開始当初は、初等教育さえもままならなかったタイ。学校建設や孤児院支援、学校から離れた農村部のためのスクールバス寄贈などを進め、1990年からは奨学金事業を実施。これまでに3451人の中高生に、学校に通うための財政支援をしてきました。ただ、タイの経済発展に伴い、奨学金事業は2017年度をもって終了。今は、日本とタイで進む高齢化対策に向けた事業を模索しています。
【スリランカ】
スリランカでも奨学金事業を実施しています。長く内戦が続いたスリランカ。同国では、「日本とスリランカの懸け橋になれる人材育成」をテーマに優秀な生徒を支援しています。奨学生の中からは、全国統一試験(Oレベル試験)で最優秀の成績を収め、大統領から表彰された子も輩出しました。
【ミャンマー】
2003年より、シャン州南部において、循環型農業を基盤とした「循環型共生社会の創造事業」を展開しています。化学肥料の価格高騰、農薬による農家の健康被害や土壌悪化も進むミャンマー。農薬や化学肥料の使わない循環型農業の普及に努めることで、付加価値の高い農作物の栽培を進めています。また、貧しい子が学校に通うための奨学金事業や、学生寮の運営もしています。
【日本国内】
「自分たちの足元を見つめよう」と2009年からは国内事業も始めました。佐賀市の限界集落となる危険性のある集落における活性化に向け、伝統的な木綿の栽培や、休耕地を活用したオリーブの木の植樹などを実施してきました。そのほか、国内で災害が起きた際には、佐賀県内のNPOや行政と連携し、物資の運搬やボランティアの派遣なども担っています。
◆与えない支援へ
タイで始まった地球市民の会の国際協力事業。それまで、日本でお金や物の寄付を集めて現地に送る支援が中心でした。
しかし、2003年のミャンマープロジェクトの開始とともに、国際協力の支援の方向性が「与え合い、ともに学ぶ」と変化します。きっかけは、ミャンマーの少数民族・パオ族のリーダー、ウ・アウンカムティー氏の言葉でした。
「食べ物を与えるより、
食べ物の作り方や調理方法を教えてほしい。
そうでないと、私たちの民族は、
ただ口を開けて待っているだけの人になってしまうから」
ミャンマーでは、「循環型社会の創造」をテーマに、有機農業の普及や学校建設、給水施設の建設などを実施。ミャンマーは栄養価の低い赤土であり、まだまだ学校数も少なく、水道が通っていないため、雨水をためて生活する人も少なくありません。多くのミャンマーの住民たちが、付加価値の高い有機野菜を作る知識を得るとともに、教育やきれいな水にアクセスできるようになりました。
◆日本のグローバル化をけん引
国際交流の草創期だった1983年の設立当時から、日本への留学生を招く「小さな地球計画」や、日韓大学生交流「かちがらす計画」などの交流事業を実施してきた当会。
2013年には、尖閣諸島問題に端を発して関係が悪化した中国や、竹島をめぐる問題が関係に影を落とす韓国の大学生たちと、相互で訪問をし合えるような「心の家族」を目指す日中韓パートナーシップ事業「TOMODACHI100プロジェクト」も開始。2016年度までに、100人を超える中韓の大学生が、佐賀を訪れました。
◆「堂々たる田舎人」として、“足元”も見つめ
地球市民の会設立者の古賀武夫(故人)は、常に「堂々たる田舎人」を信条としていました。意味は「自分が今いる足元こそが世界の中心であり、自他両方の文化と歴史を尊重し、そこから世界を変えていこう」ということです。
古賀が亡くなった翌2009年に始まったのが、佐賀に拠点を置く地球市民の会の足元を見つめようとする「国内事業」です。佐賀市の限界集落となる危険性のある集落における活性化事業として、伝統的な木綿の栽培や、休耕地を活用したオリーブの木の約120本の植樹などを実施してきました。また2017年度からは新規事業として「子どもの居場所づくり事業」にも取り組み始めました。
そのほか、東日本大震災(2011年)の被災地支援や、熊本地震(2016年)の支援など幅広く活動してきました。