ORIZURU

あなたの寄付で人生や生き方へのサポートが日常に溢れる優しい社会をつくります

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生き方や人生へのサポートが日常に溢れる社会の実現を目指し、スピリチュアルケアの実践を行っています。

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私たちのビジョン

いのちの問題を「ひとりの問題」として遠ざけてしまうのではなく、「みんなの問題」として分かち合い、支え合える社会をつくりたい。

私たちの取り組む課題

地縁・血縁の消失、伝統的な宗教の弱体化など、現代社会は人と人との関係が希薄化しています。一方で生老病死は誰もに等しく訪れ、人は変えられない出来事に直面します。

"何のために生まれてきたのか"

"生きる意味とは何か、幸せとは何か"

"どこから来て、どこに行くのか"

こうした「いのちの問題」(スピリチュアルな問題)に対し、かつては家族や地域で支え合ってきましたが、人間関係が希薄化した現代社会においては独りで向き合わざるを得ない状況にあります。

この先の日本は世界に類を見ない多死社会を迎えると言われています。これから多くの人が「いのちの問題」に直面することが予想されます。

このような時代においては、いのちの問題を個人の問題として遠ざけてしまうのではなく、社会全体の問題として分かち合い、支え合う関係性が重要であると私たちは考えています。

なぜこの課題に取り組むのか

"起こった出来事は無かったことにできない。でも起こった出来事の意味は変えられるかもしれない。"

ORIZURU代表の小林です。私は14年前に父を食道がんで亡くしました。

2003年12月、当時、私が一人暮らしをしていた金沢に父と母が遊びに来ました。みんなで食事をしていた際に『最近、食事が飲み込みにくいんだ』と父は話していました。

それから程なくして、父は実家近くの病院に入院し、年が明けてすぐに末期の食道がんであることを告げられました。

そして半年間の闘病生活の末にこの世を去りました。私はこれまで経験したことのなかった深い悲しみに襲われ、毎日、涙を流しました。眠りながら泣いていることもしばしばでした。底の見えない悲しみの深さに驚きもしました。後にこれが悲嘆(グリーフ)であることを知りました。

悲嘆は 3~4年ほど続いたと思います。職場の同僚や友人との会話が家族の話題になる度に、胸が引き裂かれるような痛みを覚えました。顔で笑いながら心で泣いていました。

悲嘆の影響はこんなところにも現れました。父を亡くした翌年、2005年の記憶が、私の中でぽっかりと抜け落ちているんです。不思議なことに妻も同じ状況で、夫婦揃って『2005年は何をしていたのだろうね』と振り返ることがあります。

今、こうして父の思い出を友人や知人に話せるようになるまでに 7~8年、初対面の人に話せるようになるまでに 10年以上の時間とグリーフワークが必要でした。勿論、今でも当時を思い出せば悲しみが込み上げてきます。ですが 10年という長い時間の中で、この悲しみの置き場所を心の中に見つけることが出来たのだと思います。

少し話が前後しますが、父との思い出で心残りがあります。それは闘病中の父の気持ちを最後まで聴くことが出来なかったことです。私は私自身の悲嘆と否認の感情が強すぎたために、病床の父の気持ちに寄り添うことが出来ませんでした。恥ずかしながら自分の悲しみに向き合うことで精一杯だったのです。

今でこそ緩和ケアの定義や看護師のクリニカルラダーの中にスピリチュアルという言葉が記載されるようになりましたが、その当時、父が入院していた病院では、患者の気持ちに寄り添うケア、家族(第2の患者)の気持ちに寄り添うケアなどは全く望めない状況でした。

もしも、もしもあの時、家族に代わって父の気持ちを聴いてくれる人がいたのなら、父は何を語ったのだろうと考えることがあります。あの日、父と私しかいなかったあの病室で "母さんを頼むな" と一言だけ呟いた父の気持ちを、私は今でも探し続けているからです。

スピリチュアルケア師が何かを与えられる訳ではありません。ケア師が関わることで、その人に起こった出来事が無かったことになる訳でもありません。ですが、困難を抱えた人やご家族の傍に在り続けようとする人間の存在が、その人にとっての "意味" を見出すキッカケになるかもしれないと、私は私の体験から思うのです。

ORIZURUは「生きる力」を伝える活動、共に見つめる活動を行っています。

団体名
ORIZURU
住所

代表者名
小林正昭
電話番号
公式ホームページ
https://orizuru.qloba.com/